なぜ熱海は衰退したのか?
1960年代、熱海は、日本を代表する温泉観光地でした。
首都圏からほどよい距離にある温泉地として栄えました。
宿泊客数は、最盛期の1960年代で500万人、1990年代で400万人。
しかし、ホテルの低価格化、大型温泉施設の廃業、バブル経済崩壊、観光スタイルの変化などにより、2011年には246万人までに落ち込みました。
衰退してしまった熱海をなんとかしたいという思いをもっていた市来広一郎は、会社を辞め、熱海を再生するプロジェクトに専念することにしました。
どのような取り組みが、Ⅴ字回復へと結びついたのか(2015年の宿泊客数308万人)、その過程が描かれています。
「やってから謝りに行く」
熱海銀座で歩行者天国を実施しようとすると、商店街の半数の方から反対の声が上がったそうです。
事前にすべての合意形成をしていては、いつまで経っても何も変えられない。
そこで、「やってから謝りに行く」という戦略。見切り発車。
採算がとれるのか? トラブルが起きないか? どれだけの人が来るのか? 事前に考えても分からないことは、山ほどあります。
行動するのがリスクなら、行動しないのもリスク。
動いて、そして、考える。
行動力を支えたのは、誠実さと人のつながりでした。
「最初は、自分の金で成功して見せなさい。」
熱海銀座にカフェをオープンさせる資金を得るため、事業家を訪ねて回っていた時に言われたのが「まず、自分の金でやりなさい。」だったそうです。
理由は、最初から他人のお金を使って事業を始めると、自分のやりたいことができなくなるから。
当初、1000万円と見積もっていた資金を、350万円に圧縮し開店にこぎ着けます。
最終的には、採算が取れず、5年間の営業を経て店を閉めることになるのですが、この5年間の活動が、次のゲストハウス「MARUYA」につながっていきます。
熱海を再生させるという大きな事業も、まずは、小さな一歩を大切にすることから始まりました。
どんな困難にぶち当たっても、ただの一度も辞めようと思ったことはありませんでした。
かつてはシャッター街だった熱海銀座に、新規の出店が増えているそうです。
著者の言葉に、勇気をもらいました。
まだまだ進行中のリノベーション。熱海に行ってみよう!
トリガーワード
Ⅴ字回復/民間の力/リノベーション/いつかは熱海へ/バブル崩壊/街のファン/チーム里庭/農地再生/意識改革/CAFERoCA/海外客/熱海マルシェ/ビジョン/家守/観光戦略会議/2030年/再び行く場所
- 著者 市来広一郎
- 題名 熱海の奇跡 いかにして活気を取り戻したのか
- 出版社 東洋経済新報社
- 発行年 2018年